清里で一番美味しいレストラン

懐かしいものついでに書いてみる。

今から30年以上も前になるけれど、

僕が子供の頃の清里には、車で行ってはいたけど、

中央道も途中までしかなかった。

記憶は途切れ途切れだけど、

ぶどう狩りとかののぼりが立つ勝沼で渋滞に

はまっていた記憶がある。

そして、滞在中の清里では、車はほとんど使わなかった。

何処へ行くにも歩いていた。

観光をするにも、買い物に行くにもだ。

今で言うところの丘の公園からほど近い小屋から、

清泉寮へも、川俣渓谷へも、美しの森へも飯盛山へも歩いていた。

舗装なんてされていない今の牧場通りや、

少年自然の家を経由していく森の中の道を歩くのは苦ではなかった。

トンボやチョウなどの虫や、草花、鳥を見ながら歩くのは、

子供心にもむしろ楽しかった。


一方、買い物はと言っても、日々の食材やちょっとした雑貨くらいで、

(今からは信じられないけれど)駅前にスーパーマーケットが3軒もあったから、

普通の買い物はそこで済んでいた。

たいていは、どこかに遊びに行った帰りに、スーパーなどに立ち寄っていた。


あの頃はみんな歩いていたなぁ。

清里を訪れる人も多かったけど、歩いている人も多かった。

いろんな意味で活気のあったそんな時代だった。


思い返すと、外食もほとんどしなかったような気がする。

先述のスーパーで材料を買ったり、当時釣り堀をやっていた「ますや」さんで、

釣ったニジマスに塩をしてもらったり、刺身にしてもらい持って帰ったり。

それを小屋で調理するのが多かった記憶がある。


余談だが、ご飯を炊くにも、

当時の炊飯器は気圧の関係でうまく炊けなかったから(だと思う)、

圧力鍋のようなもので炊いていた。

これがまた、日常とは違って美味しかったなぁ。


そんな中で、たまには外食をする時もあった。

行く先は、僕が子供だったせいもあってか、限られてはいたが。

今でもはっきり覚えているのが、今はなくなってしまった「山彦」だ。

清里初のレストランとして、1970年に創業。駅前にあったのだが、

山小屋そのままで、店内には山や高山植物などの写真がいくつも飾られ、

梁を利用して古いスキーなどが置かれていた。

入り口近くのレジのそばには、手書き風の八ヶ岳の地図や、

絵はがき、昔ながらの民芸雑貨や、

コマクサなどを石で描いた壁かざりなどが

お土産として売られていた。


思えば『清里日報』の『ぱや的清里の歴史』に出てくる、

振興会の新聞もここで手にしていた気がする。


そんな店だった。

僕は当時、飼っていた小型犬をいつも連れていたのたが、

店内に犬をそのまま連れて入り、

足元に寝そべる犬に灰皿で水を飲ませたりしていた。

まぁ、それを許してもらえる店だったし、客層だった。

時代ってのもあったんだと思う。

メニューはいわゆる洋食だったが、

鉄板の上でジュージュー音をたてるハンバーグをよく食べたのを覚えている。

死んだ親父は、トンカツとかを食べていたな。

たまに分けてもらったりしたなぁ。

とにかく、どれも美味しかった。


中でも特に忘れられないメニューがある。

それがピザだ。

多分、ピザなんてまだそんなに一般的じゃなかった頃だと思うが、

とにかく絶品だった。

食事のあと、持ち帰りにしてもらって、夜食にもした。


「山彦」のピザが美味しかった事を記憶している人は、

まだまだ数多くいるのではないだろうか。


その後、色々あったのだろうが、残念ながらその懐かしい山小屋風の店は、

二階建ての小綺麗なものに変わってしまった。

店も息子さんが仕切るようになり、

美味しい料理をたべさせてくれたオヤジさんは、

1階部分で喫茶だけをやっていた。

その美味しいピザとともにだ。


昔を知る者としては、その山彦の料理は正直満足できるものではなかった。


僕もいつしか、ピザを持ち帰るだけの為に店に寄るようになってしまった。

仮にもレストランだし、正直、申し訳ない気持ちもあったが、

僕にとってはピザ以外には価値がない存在になってしまっていた。


その後、店は閉まっている時間が増え、開かなくなり、

山彦の看板は下ろされ、いつしか何かの事務所になってしまった。


今から思えば、山小屋風の建物がなくなった時点で

山彦は終わっていたのかもしれない。


山彦が好きだった僕は、今でも清里が好きで、

一年の三分の一以上を清里で過ごしている。


色々な流れを経て、今の清里には素敵な店もできている。

しかし、僕の中には、清里で美味しいお店、

素敵なお店である「山彦」の記憶はしっかり残っているし、

忘れる事はできない。


あの時代だから存在しえたのだろうか?

いや、きっと今あっても、清里の名店のひとつに数えられたに違いない。


当時は山彦がなくなるなんて考えもしなかった。

あの美味しかった料理は、あの山小屋の建物と一緒に

また帰ってくるような気がしていたし、

あのピザはいつまでも食べられるものだと思っていた。

時代はまわり、清里も姿を変えつつある。

そのすべてを否定はしないけれど、

今の清里にあっても山彦は一番行きたいお店であり、

そしてあの料理は一番食べたい料理である。






この記事へのコメント

鹿野
2019年09月09日 22:42
懐かしい山彦の情報ありがとうございます。ピザが大好物でした。
できる限り記事をupしていただくとうれしいですー

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